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食卓に笑顔を生み出す“永谷園の味革命” 約300年の挑戦の歴史を紹介!
永谷園の起源は、江戸時代中期、山城國宇治田原郷字湯屋谷で製茶業を営んでいた永谷宗七郎(後に入道して永谷宗円と名乗る)にさかのぼる。 宗七郎は煎茶の製法を発明し、日本茶の歴史に大きな功績を残した人物である。
ときの将軍は、八代・徳川吉宗。その頃よく飲まれていたのは「煎じ茶」。 ところがこれが、色は赤黒く香りも味も薄い、決しておいしいとはいえない代物だった。一方、抹茶はというと、庶民にとって高価で高嶺の花だった。 「もっとおいしいお茶を一般の方にも飲んでもらいたい。」 宗七郎は15年もの歳月をかけ、さまざまな研究を重ねた後に今でいう「煎茶」の製法を完成させた。 その製法は、その年の新しい葉だけを摘み取り、加熱して酵素の働きを殺すことにより、褐色化が抑えられ、緑色のままの茶葉になるものであった。 こうしてできたお茶は、美しい薄緑色をした、芳しい香りとわずかな甘みのあるおいしいお茶だった。 特にその色合いがそれまでの煎じ茶に対して印象的であったことから、「青製煎茶」と呼ばれた。
宗七郎は完成したばかりの煎茶をひっさげ、販路を求めて大都市江戸に向かった。江戸への道中、富士山に登り、「このお茶を天下に広めさせたまえ」と祈ったと伝えられている。 煎茶は、たちまち江戸中で評判となった。 また、宗七郎は自ら開発した新製法を独占せず、惜しみなく多くの人に伝授したことで、青製煎茶は次第に全国の生産地に広がっていった。 さらに幕末になると、煎茶は生糸と並ぶ日本を代表する輸出品として欧米各国にも受け入れられていった。 1778年、宗七郎は98歳でその生涯を閉じた。 宗七郎の偉業は後世に語り継がれ、地元の宇治湯屋谷では「茶宗明神」として祀られている。 現在でも茶宗明神には毎年多くの茶業関係者が参拝に訪れている。 こうして、宗七郎が富士山の頂で祈った「このお茶を天下に広めさせたまえ」という思いは、場所を越え、時間を超え、たくさんの人々に届いたのであった。
1952年に発売され、大ヒットを遂げた永谷園の「お茶づけ海苔」。 その大ヒットの裏側にあった知られざる真実とは。
1953年に株式会社永谷園本舗を設立した永谷嘉男は、わが国の煎茶の創始者、永谷宗七郎からつながる由緒あるお茶屋の家系である。 戦後、宗七郎から数えて10代目にあたる永谷嘉男が、「小料理屋の〆で食べるお茶づけが家でも簡単に食べられたらいいのに」という発想で開発したのが「お茶づけ海苔」である。 「お茶づけ海苔」は、中身は調味粉、刻み海苔、あられを合わせたもので、すべて手作りの作業。 アルミ箔もポリエチレンもない時代だったので、海苔が湿気らないように石灰を敷いた瓶に100袋ずつ詰めた。 ネーミングは、シンプルな名前がいいと「お茶づけ海苔」に決定。 「づけ」は漢字にしないとか、「海苔」は漢字にするなど、細部まで気をつかって名づけた。 デザインは、お茶づけから連想した“江戸の情緒”をイメージし、歌舞伎の定式幕になぞらえた黄・赤・黒・緑の縞模様を採用した。
発売当初は、自転車の後ろにリアカーを引いて、お茶屋を一軒一軒回って納品した。 すると、カラフルなパッケージが店頭で目を引き、予想を上回るヒットとなる。 続いて、問屋を通じてデパートに納入を始めた。店頭での実演販売を行ったかいもあり、売上は好調だった。 ところがある日、デパートからの注文が急に途絶えてしまう。同業者が「お茶づけ海苔」の類似品を作って販売していたのだ。 当時のパッケージには「江戸風味 お茶づけ海苔」と印刷されているだけであり、類似品が出回っても文句は言えなかった。この事件を機に、嘉男はブランドの重要性を認識し、パッケージに「永谷園」と印刷するとともに永谷園ブランドの確立に努めた。 こうした苦労を重ねながら「お茶づけ海苔」は、全国的なヒット商品に成長するのであった。
1964年10月。日本中が沸いた東京オリンピックと時を同じくして、永谷園を代表するロングセラー商品「松茸の味お吸いもの」が誕生した。
「『松茸の味お吸いもの』の味作りのポイントは、風味をバランスよく整えることでした。原材料を選定し、それぞれの調味を分解してひとつひとつ吟味。変な風味のものがあったら取り除いていく、地道な作業をこつこつと進めました。」と開発担当者は語る。 一日に10~20回試食を重ね、「今日も松茸、明日も松茸」の日々。 贅沢なようにも聞こえるが、開発担当者は少々食傷気味になったことも。 一番の難関は、味のベースとなる調味顆粒の製造だった。原料の配合や混ぜ方によって出来上がりが全く異なり、うまく形にならなかったり、顆粒が固すぎてお湯を注いでも溶けないものになってしまう。条件を変えながら幾度となく試作を繰り返した。
発売にあたっては、どういう風にPRしていくかも社内で議論された。 お吸いものは、もともと関西では「すまし」といわれ定着していたが、関東ではみそ汁中心であまり飲まれていなかった。そこで、飲むのではなく、「餅を入れて雑煮感覚で食べてもらう」とか「炊き込みご飯にする」などのアイデアを、CMを通じて提案した。現在では当たり前となっているアレンジレシピの提案は、実は発売当初から行われていたのだ。 これが結果的に功を奏して、「松茸の味お吸いもの」は、松茸の高級イメージもあいまって、香りが楽しめるお吸いものとして着実に伸びていった。
「お茶づけ海苔に続くヒット商品を!」ということで開発された「さけ茶づけ」。 鮭の加工品自体が珍しかったこの時代、さまざまな困難を創意と工夫で克服してヒットした商品であった。
最初の難関は、鮭の身をフレーク状にすることだった。 当初は鮭を水の中に入れて手でほぐしていたが、どうしてもミンチ状になってしまいうまくいかない。 そこで、ほぐした鮭の身のフレークを機械にかけてプロペラで回転させることで、一定のフレーク状にすることに成功した。 乾燥方法は、加工食品ではあまり例のない真空凍結乾燥(フリーズドライ)を採用。 お湯を注いだときの戻りがよく味や食感の再現性が高いのが特長の製法ではあるが、鮭のような脂肪分が多い食材は不向きとされていた。 しかし、担当者は試行錯誤を重ねながら鮭の加工方法を工夫し、ついに鮭の旨みを逃がすことなくフリーズドライする技術を開発した。 鮭の骨取りも難航した。発売後しばらくは手で取り除いていて、効率の悪い状態だった。骨を除去できる機械はないものかと知恵を絞り、精米するときに使う米選機をヒントに鮭の骨取りの機械化に成功した。
困難を一つ一つ克服し、ついに「さけ茶づけ」が完成。 1970年、まずは九州地区でテスト販売されることになった。 九州ではあまり鮭を食べる習慣がなく、「九州で売れれば全国で売れるはずだ」という判断であった。 「サケ?アルコールのことかい?」などと言われたり、一般にはあまり知られていないフリーズドライ技術の説明に苦労したりと商談は難航した。 しかし、発売後、味の良さや北島三郎さんを起用したCMのインパクトが評判となり、店頭では商品が飛ぶように売れていった。 九州で成功を収めた「さけ茶づけ」は順次販売エリアを拡大し、翌年には全国的なヒット商品となった。
インスタントものは「安かろう、まずかろう」というイメージが主流の時代。 これを覆すべく、永谷園は「手作りに負けないおいしい高級みそ汁」の開発に着手した。
当時のインスタントみそ汁は、熱風乾燥のみそを使うのが主流。安価にできるが、独特の乾燥臭、粉っぽさがあり、生みそとは程遠い味だった。 そこで、コストはかかるものの風味が損なわれない真空凍結乾燥(フリーズドライ)製法を採用することに。全国各地からみそを取り寄せ、フリーズドライに最も適したみそを選び出した。 具材も、庄内地方の特産品である板麩、食感も色合いもよいわかめ、フリーズドライの葱など高級なものを使用。味の決め手となる鰹節の品質にも妥協しなかった。 パッケージは、百数十点におよぶ候補の中から、ぬくもりのあるちぎり絵と力強い筆文字を組み合わせた高級感のあるデザインを採用した。ちなみに、ネーミングの「あさげ」は「朝食」を意味する昔のことばである。
品質に妥協せず高価な原材料を惜しみなく使用した「あさげ」。 急速なインフレの真っただ中でもあり、コストはみるみる上昇。1袋40円(4袋入160円)と、当時の一般的な即席みそ汁(1袋10円程度)の4倍というとんでもない価格で、1974年2月「あさげ」は発売された。 「こんなに高い商品が果たして受け入れられるのか」という心配をよそに、「あさげ」は好調な売れ行きを記録。 落語家の柳家小さん師匠と女の子によるコミカルなCMも大きな話題となった。 購入者へのアンケートでは、「家庭で普段飲んでいるみそ汁よりもおいしい」という声が数多く寄せられた。 「あさげ」のヒットを受けて、1975年6月に「ゆうげ」、1976年2月に「ひるげ」を相次いで発売。みそ汁市場は一気に活況を呈するのであった。
1976年当時、子どもの食べたいメニューベスト3は、カレー、ハンバーグ、寿司。 その寿司に着目して、永谷園は開発プロジェクトを結成した。
月に5~6回メンバーが集まり、「食べたいときに食べられる」をコンセプトに、いろいろなアイデアを練る。 永谷園としては、初めてのウェット食品の分野。他社メーカーの商品をあれこれと試食し、手軽に食べられるお寿司のアイデアを発案した。 そして、開発から約4ヶ月・・・ 1袋1人前「すし太郎」のアイデアが出された。しかし、初めてのウェット食品だけに、工場でも作業は難航。 にんじん、しいたけ、れんこん、かんぴょうを1袋に入れるとき、機械ではばらつきがでて、うまくいかない。 そこで、当初は、ひとつひとつ茶こしで具をすくって計量し、手作業で袋に詰めるという、とても大変な作業をしていた。その後、甘酢の量を減らしたり、具のつなぎ方を考えたりと試行錯誤し、この問題もなんとか解決。 開発プロジェクトを結成して約1年後に「すし太郎」は発売され、大ヒット商品になるのであった。
「出社は自由。経費も自由に使っていい。レポートもいらない。 食べたいものを食べてこい。」という「ぶらぶら社員」制度が誕生。 「ぶらぶら社員」となり、2年間の放浪の“仕事”を終えたA氏。 彼が「新商品」のヒントとして持ち帰ってきたものが意外な大ヒット商品に!
「ぶらぶら社員」として新商品のヒントを求め、世界放浪中のA氏。とある料理屋で彼は何の変哲もない「中華スープ」に出会う。 『おいしいなあ、こってりしてるし、意外とご飯にも合いそうだ!』こう感じた瞬間、今まで重ねた放浪の経験が、「中華スープ」とあるものを結びつけた。 ・・・それは、なんと「春雨」。 「中華スープ」と「春雨」、この2つが結びつくことによって、A氏の中で、今までにない、全く新しい商品が生まれた。「これだ!」 すぐさま日本に帰ったA氏は、浮かんだアイデアの商品開発に着手。それが、今ではすっかり定番中華となった「麻婆春雨」だったのである。 そう、それまで「麻婆春雨」は世界のどこにも存在しない料理だったのだ。 A氏が持ち帰ったこのアイデアは、社内の評価も高く、周囲の協力もあり、迅速に商品化に至った。 かくして「ぶらぶら社員制度」発足から2年後の1981年11月、日本発の中華おかずの素「麻婆春雨」が完成。商品とともに、「麻婆春雨」という料理自体も、全国に広まっていったのである。
将来のふりかけ市場を視野に入れた商品開発。 大人を視野に入れた新商品は、全世代の支持を受ける人気商品に。
ふりかけ市場でたくさんのメーカーがしのぎを削る中、新たなヒット商品を世に送り出すために日々研究を重ねていた。 そんな時、担当者が興味深い事実に気づく。 「ふりかけは11歳までの子どもにはほぼ100%食べられている人気メニューでありながら、大人になろうとする12歳から急に需要が減少する」 つまり、消費者にとっては「ふりかけ=子ども商品」という図式があることが判明したのだ。 さらに、これは「出生率の減少」が将来のふりかけ市場に影響することも意味している。 今後ふりかけ市場が成長していくためには「ふりかけ=子ども商品」という既成概念を打ち破らなければいけない・・・・・・そう考えた担当者は、「子どもだけではなく、大人も満足できるふりかけ」をテーマとした新商品の開発プロジェクトを発足させた。
開発にあたっては「大人が満足するふりかけ」の条件をあらゆる角度から追求。 例えば海苔は、海苔本来の色鮮やかさや独特の風味を残すことにこだわった。またパッケージは、大きな白地の窓に「おとなのふりかけ」と黒字で入れ、高級感のあるものへ。 そしてCMは、「子どもの目から見た大人の世界を描く」というコンセプトで、子どもを主役に据えるという新しい手法にチャレンジ。このCMは大変話題を呼び、「おとなのふりかけ」の知名度を一気に高めた。
1989年10月、地区限定で「かつお」「さけ」「わさび」を発売。店頭での試食販売では大きな反響があり、それまでの商品にはない売れ行きに。 1990年2月には全国展開し、各地で予想を大きく上回る売上を記録した。 販売データを分析すると、5歳から55歳までの嗜好者がほぼ均等で、男女も約半々で食べている結果に。 「おいしいものなら年齢・性別関係なく受け入れられるはず」という開発者の信念がみごとに実証された瞬間だった。
永谷園の「食物アレルギー配慮商品」は、食品表示法で表示が義務づけられている特定原材料のうち、「くるみ・小麦・そば・卵・乳・落花生」を使わない商品シリーズだ。
「食物アレルギーを持つ方のご苦労を少しでも軽減し、安心して美味しく召し上がっていただける商品を提供したい」こうした思いで開発された、永谷園の「食物アレルギー配慮商品」。 食品表示法で表示が義務づけられている特定原材料のうち、「くるみ・小麦・そば・卵・乳・落花生」を使わない商品シリーズだ。 中でも2003年に誕生した「A-Label」シリーズは、「大豆」「香料・着色料」も使わない、永谷園独自のブランド。 現在では、市販品のレトルトカレーやふりかけ、業務用商品などを取り揃えている。 いずれの商品も、食物アレルギーをお持ちの方も、お持ちでない方も、すべての方が安心しておいしく食べられる品質を目指している。
「食物アレルギー配慮商品」において、特に気をつけなければならないのがコンタミネーション(微量混入)。 防止するためには、厳重な管理と、通常商品とは異なる生産体制が必要となる。 永谷園では、原材料の調達から生産、さらには生産ラインの洗浄についても、その危険性を防止するための管理方法を確立し、「食物アレルギー配慮商品」の生産を行っている。 ふりかけなどのドライタイプのものに至っては、専用の隔離した部屋「A-Label」室を工場内に設置。 室内の気圧を高く維持(「陽圧化」)することによって、微量のアレルギー物質の侵入も防いでいる。 さらに、生産の作業は決まった人物のみが行い、作業着や靴も専用のものを着用するなど、徹底的な管理体制が実行されている。
お客さまからの反響が大きい「食物アレルギー配慮商品」。届いた意見を参考に、商品改良などの見直しが進められている。 例えば、発売当時はアレルゲンとしてあまり認知されていなかった「ごま」。お客さまから届いた声や、ごまのアレルギーをお持ちの方が増えているという情報をうけ、ふりかけ、おむすびの素は、原材料に「ごま」を使用していない品質に変更した。 また、アレルギー配慮商品の専用コーナー設置を小売店に提案するなど、認知度アップと流通面強化にも力を注いでいる。
ここで、あるお客さまから届いたお便りを紹介したい。 「『A-Label』のふりかけを作っていただき、本当にうれしかった。 卵、乳製品アレルギーのあるうちの息子でも食べられます。幼稚園のお弁当でお友達が口にしているふりかけが、自分も食べられるとわかった時の、息子の顔を忘れることができません。」 永谷園の努力は、こうしたお客さまの声によって支えられているのだ。
2009年9月。即席みそ汁に“オルニチン入り”という付加価値をプラスした、他に類を見ない「機能性みそ汁」が誕生した。 消費者に支持され、一時は生産が追いつかなくなるほどのヒット商品となった裏側にあった秘話とは?
その商品が生まれるきっかけは、2007年秋、アミノ酸の研究を行っていた永谷園の研究部で、アミノ酸の一種である「オルニチン」を生み出す特異な植物性乳酸菌が、キャベツの葉から偶然に発見されたことだった。 オルニチンは、食材の中では群を抜いて“しじみ”に多く含まれている。そして、しじみと言えば、お酒を飲んだ翌朝に良いといわれる「しじみのみそ汁」が親しまれている。「オルニチン」⇒「しじみ」⇒「みそ汁」の連想から、即席みそ汁の商品開発がスタートした。
まずは、この乳酸菌を利用したオルニチン味噌の製造に着手。しかし、この乳酸菌はみそ作りに欠かせない塩分に弱く、通常の製法では効率的にオルニチンが生成できない。 みそメーカーに協力を仰ぎながら塩分によって乳酸菌のオルニチン生成が妨げられない特殊な製法を確立した。 難題は続く。できあがったみそは乳酸を含むため、どうしても酸味が出てしまう。だしの風味を強めるなど工夫を重ね、酸味を抑えたまろやかな味に整えることに成功した。 こうしていくつものハードルを乗り越え、1食当たりしじみ70個分に相当する25mgのオルニチンを含有する、全く新しい「機能性みそ汁」が誕生した。
商品を発売するには、まだ課題が残っていた。専門家にはよく知られたオルニチンだが、多くのお客さまにとっては初めて聞く名前。 そこで開発担当者は、親しみやすさと強いインパクトを持つ「しじみ70個分」をネーミングに採用。 二日酔いの朝に飲まれる「しじみのみそ汁」を元に、「お酒」のキーワードを打ち出すことも決定。パッケージは即席みそ汁には珍しい黄色を採用し、「お酒好きのあなたに」というコピーを添えた。 こうして2009年3月、よくお酒を飲む30代の男性をターゲットに、カップみそ汁「一杯でしじみ70個分のパワー」のテスト販売をコンビニで開始。
これまでにない機能性みそ汁は、予想を上回る販売量となった。特に意外だったのが、健康的な「しじみ」のイメージを魅力に感じた女性からも多くの支持が集まったことだった。 この反響を受け、2009年9月から販路をスーパーなど全流通に拡大。ラインナップもカップタイプの他、大袋タイプのみそ汁、スープ、お吸い物を追加した。 さらに女性を意識して、ネーミングを「一杯でしじみ70個分のパワー」から「1杯でしじみ70個分のちから」に変更するなど、商品を手にとってもらうため小さな工夫を積み重ねた。 こうして「1杯でしじみ70個分のちから」シリーズは、まさに“飛ぶように売れる”大ヒット商品に。即席みそ汁売場だけではなく、お酒の関連商品として酒類売場にも並べられ、発売後約1ヶ月で生産が追いつかなくなるほどの大きな売上を記録した。 ラインナップも拡充し、今後も強まると予想される消費者の健康志向を背景に「1杯でしじみ70個分のちから」シリーズは、さらなる活躍が期待されている。
戦前の「茶屋 永谷園」で売られていたふりかけの復刻版。当時ふりかけの主流だった魚粉は一切使わず、焼海苔、えび、ごまなどを使ってカラフルに仕上げました。 ※こちらの商品の販売は終了しております。
コンセプトは「甘党にはこたえられないおしるこ」。キリッと締まった甘さと深いコクのある味わいで、冬場の人気商品となりました。 ※こちらの商品の販売は終了しております。
核家族化や共働き世帯の増加による個食化、簡便志向といった世相にマッチした小容量のレトルトそうざい。1個100円そこそこで買える手軽さも魅力でした。 ※こちらの商品の販売は終了しております。
永谷園初の洋風メニュー。果肉(ドライフルーツ)入りのゼリーの素という当時としては画期的な商品でした。 ※こちらの商品の販売は終了しております。
スパゲティとソース、具材がセットになった、カートンタイプの即席スパゲティシリーズ。スパゲティは独自の製造方法によってゆで時間5分(通常の半分)を実現しました。 ※こちらの商品の販売は終了しております。
プラスチック製の鰹節型の容器に入った顆粒状のだしの素。あまりに斬新な形状ゆえに短命に終わった、今でも永谷園社内で語り草となっている商品です。 ※こちらの商品の販売は終了しております。
朝食やおやつにぴったりの、卵1個、電子レンジ2分でできるカップケーキミックス。電子レンジの中で生地がモコモコとふくらむ様子に子供たちは大喜びしました。 ※こちらの商品の販売は終了しております。
既存のお茶づけの枠を超えた「ラーメンスープで食べるお茶づけ」。なるとや揚げ麺などラーメンを思わせる具材入り。パッケージの「?」マークもお客さまの好奇心をかき立てました。 ※こちらの商品の販売は終了しております。
パン市場の成長性に着目して開発された「トーストにかけるふりかけ」。それまでにない斬新な発想で大きな話題となりました。 ※こちらの商品の販売は終了しております。
「のどごしはそうめん、味わいはらーめん」を実現した永谷園初の乾麺。そうめんの食べ方のバリエーションの少なさに不満を感じていた人々の心をとらえ、夏の人気商品となりました。 ※こちらの商品の販売は終了しております。